女とエチしてる間にゴッチが死んだああああああああ!!
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/headlines/wrestling/20070729-00000039-spnavi-fight.html
おいおい・・・はあー20世紀最高の偉大なレスラーがまた一人なくなっったよ・・・。
ゴッチって日本のプロレスに大きく寄与した人物だよね。
ゴッチ>猪木>藤原、佐山、前田って系譜がなかったら
UWFなんて存在すらしなくて、
修斗やパンクラスなんか、もちろん跡形もなく、
K1もPRIDEもまったく違った形になってたろうし。
日本の格闘技界の深部黎明に最も影響を与えたレスラーだったのかなーと思ったり。
死ぬ前にどっかの編集者がゴッチにかじりついて彼の技術書〜とか作ってくれたらな〜て思ってたけど。
残念です。。。
・【訃報】カール・ゴッチさん死去
“プロレスの神様”として日本のプロレスにも多大なる影響を与えた
カール・ゴッチさん(本名カール・イスタス)が28日午前9時45分(現地時間)
フロリダ州タンパにて亡くなった。享年82歳。死因等の詳細は現在調査中。
ゴッチさんは1924年8月3日、ドイツ・ハンブルグ出身。
9歳でレスリングを学び、18歳でプロレスラーとしてデビュー。
53年にスネークピット(蛇の穴)ことビリー・ライレー・ジムに入門し、
サブミッション(関節技)を磨く。その後、カナダを経由してアメリカに渡り
「カール・クラウザー」のリングネームで活動。61年より初代世界ヘビー級王者の
フランク・ゴッチにあやかりカール・ゴッチを名乗り始める。
初来日は61年5月に開催された日本プロレスの第3回ワールドリーグ戦。
この時、日本初公開となるジャーマン・スープレックス・ホールドを披露した。
62年にはオハイオ版AWA世界ヘビー級王座を獲得するも、
アメリカのプロレスシーンにおいては実力者であるがゆえに水が合わず、
以降は日本のプロレスとの関係を密接化。日プロが強化コーチに招き長期滞在し、
その「ゴッチ教室」でアントニオ猪木との強い結びつきができる。
国際プロレス参戦をはさみ、72年に猪木が新日本プロレスを旗揚げすると、
旗揚げ戦の相手に名乗り出て、外国人選手のブッカーに就任。
新日本を内外からサポートし藤波辰爾、藤原喜明、佐山聡、前田日明などを輩出。
その後もゴッチ門下生は船木誠勝、鈴木みのる、西村修、石川雄規の代まで続いていく。
84年には第1次UWFの最高顧問を務めたほか、タンパを訪れる選手たちの
心の拠りどころとなった。
最近では藤波、西村の要請を受けて無我ワールドの名誉顧問に就任したばかりだったが…
83歳の誕生日を目前にしたところで、神様は天に召された。
※週プロmobile(携帯サイト)より抜粋
カール・ゴッチ とは - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%81